ケインズと三橋貴明について調べていたら
面白いブログを発見しました。
三橋貴明に物申す!①(ケインズ経済学の欠点)
http://ameblo.jp/s080226/entry-11184255778.html
なんでもケインズ経済学では
クラウディング・アウトの考え方が
導入されていない、という欠点がある、とのこと。
ただ、自分の理解で言えば
ただちにクラウディング・アウトは発生しない。
さらにこのブログで言われているような
大げさなクラウディング・アウトに限るなら
発生しないと断言できる。
ただ、何事においても100%、というのは存在しないので
あくまで「議論するのも馬鹿馬鹿しいくらいに発生しない」
としておく。
その理由はWikipediaにも書いてある
Wikipedia:クラウディングアウト
Wikipediaを鵜呑みにするようなことはしないけど、少なくとも
クラウディングアウトのアイデアは古くから存在し、アダム・スミスは政府による経済活動はすべて不生産的労働であり、政府が公衆から資金を借入れて消費することはその国の資本の破壊であり、さもなければ生産的労働の維持に向けられたであろう生産物を不生産的労働に向けるものである、とした[2]。一般に完全雇用を前提とした古典派経済学においては、政府支出の増大はそれが租税で調達されようと国債で調達されようと、民間支出はクラウド・アウトされる。
と、クラウディングアウトの命題は
降ってわいたものではないことがわかる。
どちらかといえば古典的なもので
ケインズ派にもこの知識は組み込まれている。
クラウディングアウトの問題は、行政府による経済・財政政策において基本的な論題で、もし古典派の言うように、常に完全なクラウディングアウトが発生するなら行政による経済政策は無効になる。
そう、
クラウディングアウトクラウディングアウト連呼していたら
一切の公共投資が行えないことにある。
少なくとも前述のブログのような
クラウディングアウト恐怖症のような論調では
公共投資は一切不可能だ。
適切な公共投資こそ必要、
というのは誰でもわかることだろう。
ではその「適切な」というのは何で推し量ればいいのか。
ケインズのこの問題についての基本的見解は、失業と遊休資本が存在しているかぎりは、財政支出を増大してもクラウディングアウトによる完全な相殺は発生しない、というものである。
これが三橋貴明の言っている、デフレギャップだ。
デフレギャップが万能だ!とは思わないが
有効需要の不足の目安である、
デフレギャップが存在する以上
公共投資は効果を持つ。
これが自分で調べた結論。
反論、補足をお待ちしています。
むしろ批判的な意見こそ
自分を成長してくれるので歓迎します。